【25】日本語補習校の宿題はハンパなかった

日本語補習校に入学した子供たち アメリカに着いた当初から我々家族がお世話になっていた、この地域の日本人コミュニティのぬしのようなマダム、彼女のご主人の本業は研究職でしたが、日本語補習校でも長年教員をされていました。そんな関係もあり、マダムか…

【24】授業でよく喋るアメリカ人、必ずしも大したこと言ってないと教えてくれたハンガリーの留学生

ハンガリー人のクラスメイト 私の留学生活がなんとなく軌道に乗った頃、ハンガリーから来たユーディトと仲良くなりました。そもそもは、彼女の友人がメディカルスクールの学生で、論文にどうしても日本のある文献を引用したい、あなたは日本情報センターのラ…

【23】幼稚園児にもプレゼンの宿題が出た

Show and Tellの宿題 次女はジョアンという友達ができたおかげで、毎日上の兄姉と連れ立って元気に幼稚園に通っていました。いまだ英語はわからないものの、ぽつりぽつりとジョアン以外の名前を口にするようになったある日のこと、担任のミス・ケリーから一…

【22】デジタルアーカイブ授業のプレゼン②

アメリカ人学生も意外と下手だったプレゼン 2週間ほど台所やリビングで練習を続け、原稿なしでほぼ話せるようになったかならないかの頃、いよいよプレゼンの本番の日になりました。 私の順番はかなり後の方で、クラスメイトたちはどんな発表をするのか、興味…

【21】デジタルアーカイブ授業のプレゼン①

プレゼンで最も重要なこと 最初のレポートで絶対にとってはいけないCマイナスという評価をもらい、言いたいことを人にわからせるスキルの重要性を、私は身にしみて感じました。ロジックが単純明快で白黒はっきりついていないと、アメリカ人は理解してはくれ…

【20】留学中、長男には殆ど手をかける余裕がなかった

英語の能力をみる面接 I don't knowも知らなかった I don't Knowも知らなかった長男 長男は、中学1年生の1学期を終えた段階でアメリカにやってきました。前にも書いたように親の言うことに黙って従うギリギリの年齢だったと思います。 ミドルスクールに編入…

【番外編】hatena blogでGoogle Adsense審査に受かるまでの道のりについての備忘録

Google Adsense審査に受かるまでのプロセス 2019年7月2日にGoogle Adsenseから「おめでとう!お客様のサイトでAdSense広告を表示して収益化を始める準備ができました」というメールが届きました。 そこで、2019年7月時点での、「はてなブログ」でGoogle Adse…

【19】週20時間の図書館の仕事、悔やむことも多い

私の典型的な1日 ピッツバーグ大学日本情報センター 大学院の授業と子供の学校がちょっと軌道にのってきた頃、図書館での仕事が始まりました。ピッツバーグ大学の東アジア図書館にあった日本情報センターは、その名の通り日本に関する情報を提供するセンター…

【18】次男は年齢的に一番可哀相だったかも

13歳以下の子供はいつでも保護者付き 次男は、アメリカに来たとき11歳でした。しばらくは、「なんか、引っ越ししてきたって気がしないんだよなー。旅行でホテルに泊まってるみたいな気がする」とつぶやいていました。 彼の場合は、放課後に自分勝手に外に遊…

【17】図書館の社会的価値をお金に換算するレポート。さっぱり書き方がわからなかった

図書館サービスの価値をお金に換算 キンメル教授の概論の授業はどうにか低空飛行でついていく感じでしたが、まもなく初めてのレポート課題が出されました。 課題の内容は、図書館サービスの価値をお金に換算するというもの。アメリカのライブラリースクール…

【16】持つべきは苦楽を共にする留学生の友!

アジア人留学生と友達に さて、男の子の学校サバイバル生活について語る前に、私の大学院はその後どうなっていたかについて、お伝えしたいと思います。 補習英語から図書館情報学の専攻に一緒に移った留学生を中心に、私にも何人かの友達ができました。私の…

【15】7歳の長女は絵の才能に助けられアメリカの学校生活を乗り切った

日本語を話す中国人の女の子とお友達になりました 次女より少し恵まれていた7歳の長女 言葉の全く通じない世界に突然ひとりぼっちで放り込まれた次女と違い、長女の場合は少し恵まれていました。初日の朝、我々が事務所で手続きしていると、同じような年恰好…

【14】アメリカの幼稚園初日に40分泣き続けた5歳の次女

子供たちの学校も開始 私の大学院が始まると同時に子供達の学校も始まりました。 私には、子供の頃に言葉の通じない環境に突然放り込まれたという経験がありません。なので、それがどれだけ彼らのストレスになったのかは想像がつきません。また、成人した今…

【13】皆んなよくしゃべるなあー大学院の授業、恐怖のディスカッション

子供の頃から養うアメリカ人の話す力 子供達がアメリカの学校に慣れた頃の話です。ある日、次男がこんなことを言っていました。 今日学校で算数の時間に掛け算をやった。9かけ3はと先生が聞いたら、皆んなが一斉にI know! I know! I know!って手を挙げた。〇…

【12】論文は全部読まなくていい

何がどうでも卒業だけはする! アカデミックの作法を何も身につけないまま渡米してしまったので、私は常識だとされている論文の読み方を全く知りませんでした(大学時代勉強しなかった報いがここで…)。 あまりの宿題の量にすっかり打ちのめされましたが、腹…

【11】4人も子供を育てながら大学院はやっぱり無謀だったのかも…

キンメル教授の図書館情報学概論 ここに、とある訃報記事のアーカイブがあります。 https://www.legacy.com/obituaries/postgazette/obituary.aspx?n=margaret-mary-kimmel&pid=171350926 キンメル, マーガレット・マリー 1938年インディアナ州生まれ。図書…

【10】超スピードの英語に怖気付いた

いよいよ留学生活開始 そうこうしているうちに、あっという間に8月末になり、大学院の入学の日を迎えました。 留学生オリエンテーションには、様々な国から本当に様々な年齢の人が集まっています。キャンパス内の芝生の上で一緒にランチを食べながら、ああ私…

【9】アメリカの母子留学生活はすぐに軌道に乗った

スムーズな留学生活のスタート 2003年8月2日の真夜中、無事に家族5人でピッツバーグの家にたどり着きました。 着いたその日から家財道具が一式揃っていたのは、1から何もかも立ち上げるのとはやっぱり全然違いました。家の中はほぼ日本にいるのと同じ状態、…

【8】ビザも下りないうちに5人分の片道チケットを買った

成田空港にはたくさんの友人が見送りに来てくれました 合格通知の後はビザの申請 これも留学あるある話ですが、合格通知が出てからビザが下りるまでにはさらに約3か月を要しました。気を揉んだことは言うまでもありません。この間、2ちゃんねるが大変貴重…

【7】合格するかどうかもわからないうちに一度渡米し、住む家を決めた

Squerrel Hillsという地域に住むことになりました 合格がわかるまでには4か月を要した 必要な書類を全て整え大学に提出すると、あとは合格通知を待つだけになります。これがないと次のステップ、ビザの申請まで進めません。留学あるある話ですが、この合格通…

【6】留学に必要な推薦状、これが本当に気が重い

イラストは実在の人物とは無関係です ピッツバーグ大学の図書館情報学修士課程で必要な推薦状 今現在、ピッツバーグ大学の図書館情報学修士課程の入学案内ページを見ると、必要書類の欄にこう書いてあります。 http://sci.pitt.edu/academics/masters/mlis/ …

【5】留学先はピッツバーグに決めた

大学図書館で週20時間働きながら大学院で学位を取る その頃、手当たり次第に色々な人に相談メールを出していましたが、Nさんからのメールは数あるお返事のうちのひとつでした。そこにはこんな内容が書いてありました。 この大学図書館で働いてこちらで学位を…

【4】図書館情報学で留学する。どの留学先を選ぶのか

ぴったりの記事をみつけました 図書館情報学での留学のノウハウ // さて、海外日本研究司書の人々にも刺激を受け、図書館情報学で留学する方向で情報収集を始めた私でしたが、まさにその年「情報の科学と技術」という図書館の業界の会員誌で、画期的な特集が…

【3】母子留学の背中を押した「ムギ畑」:勝間和代さん主宰のワーキングマザー情報交換サイト

子連れ留学中の人もいた「ムギ畑」 3つめの伏線。これは、働きながら子育てをする時に私の心のよりどころだったムギ畑というワーキングマザーの情報交換サイト、今でいうSNSのようなコミュニティに、既に子連れで留学中の人たちがいたということです。 ムギ…

【2】母子での留学の背中を押した海外日本研究司書の人たち

// 海外日本研究司書が顧客の仕事 その頃、私は日外アソシエーツという会社で日本語の雑誌・論文記事のデータベースを大学図書館(や一部の公共図書館)に売るという仕事をしていました。お給料が安いという点を除いては、比較的楽しくやり甲斐を持ちながら…

【1】36歳で夫と死別し、4人の子供を抱えたシングルマザーになった

// 4人の子供を抱えたシングルマザーになった私 2002年の秋、まだ夏の暑さが厳しい頃、私は36歳にして、子供4人を抱えた未亡人になりました。当時夫は42歳。9月の誕生日を迎えた直後に病院のベッドから旅立ってしまいました。 子供たちは当時、上から小学校6…