【15】子供達のアメリカ生活サバイバル-女の子編②

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日本語を話す中国人の女の子とお友達になりました

言葉の全く通じない世界に突然ひとりぼっちで放り込まれた次女と違い、長女の場合は少し恵まれていました。初日の朝、我々が事務所で手続きしていると、同じような年恰好のアジア人の母娘に会いました。日本人ですか?と聞かれて、そうですと答えると、お母さんは女の子に向かって「日本人だって。よかったね。日本語喋っていいよ」と言いました。母娘は中国人で、女の子は日本で育ったため第一言語は日本語でした。名前をシンソちゃんと言い、偶然にも長女と同じクラスでした。言葉の通じない場所に来て、同じように不安そうにしていました。

そのクラスにはもう1人、あさこちゃんという日本人の女の子がいました。あさこちゃんは1年ほど前に転校してきていて、英語がなんとなく理解できるレベルになっていました。

ところで、こんな風に入れ替わり立ち替わり外国人の子供がクラスに出入りするため、先生は彼らを特別扱いすることがありません。それどころか、事前情報も持たずに担任をまかされるため、娘曰く、その日の授業でいきなり指され、答えられずにいたら怒られたとのこと。この学校に限って言えば、この辺りは日本と違ってかなり雑です。外国人の子供のケアは、基本的にESLの先生が担当していました。親が信頼するのも、どちらかと言えば担任の先生ではなくESLの先生だったように思います。

さて、初日の授業で突然指された娘、当然何を言われているかわからず、ぼう然としていると、あさこちゃんが助けてくれました。この子はまだ英語ができませんという意味のことを言ってくれて、なおかつ答えを教えてくれたようです。

この日以来、あさこちゃん、シンソちゃん、娘の3人はいつも一緒に行動するようになりました。日本語で会話するため、その分英語の上達は遅かったですが、ストレスは少なかったようです。

このようにお友達に恵まれた長女でしたが、彼女にはもうひとつ恵まれていることがありました。それは同年代の子供と比較して絵がとても上手だったということです。

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クラスのみんなが集まってきました

休み時間に机で絵を描いていると、クラスメイトが集まってきて、私にも描いて、私にもと、瞬く間に行列ができたそうです。その結果、長女は絵の上手な子として比較的早い段階で一目置かれる存在になりました。

後年、中学生になってから、長女はこの体験を区の主催のスピーチ大会で発表しています。自分の絵の才能に助けられた幼い時の思い出を披露したようです。

ところで、これは完全に亡くなった父親の血でした。彼自身は美大に行くのを反対されてサラリーマンになった人でしたし、従妹には芸大を出たアーティストもいます。

したがって私のDNAとは一切関係ありません。私のこの一連の超下手なイラスト、呆れている方も少なからずいらっしゃるでしょうが、ブログの内容をわかりやすく伝えるために、必要に迫られて描いているものなんです。悪しからずご了承くださいね。

(つづく)

◆◆◆おまけ◆◆◆

これはその頃長女が描いたイラストのひとつ。学校の風景がなんとなく想像できる絵ですね。

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興味深い英語の間違いもあります