【16】持つべきは苦楽を共にする留学生の友!

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アジア人留学生と友達に

さて、男の子の学校サバイバル生活について語る前に、私の大学院はその後どうなっていたかについて、お伝えしたいと思います。

補習英語から図書館情報学の専攻に一緒に移った留学生を中心に、私にも何人かの友達ができました。私の専攻には日本人の留学生が殆どいなかったし、その日本人の彼らとも授業が重なることはほぼなかったのですが、香港や中国本土、台湾からの留学生とはよく一緒になりました。彼らは本当に心強い存在でした。

お互いが第二言語である英語を話す時って、圧倒的に気が楽ですね。ネイティブスピーカーだとドキドキする。これ、かなり改善されたものの、今でも完全には克服できていません。

ピッツバーグという土地は、田舎ではないものの、決して大都会ではありません。外国人に対しても、ニューヨークやカリフォルニアで感じるようなオープンな雰囲気はあまりありませんでした。そして、ライブラリースクールのアメリカ人学生の中には、ピッツバーグ育ちか、もしくはペンシルベニア州から生まれてこのかた外に出たことがない、という人が結構いました。後々わかったことですが、初日のティーパーティでWhat’s your focus?と聞いた彼女や、その周りの人もそうでした。外国人にあまり関心のない彼らと話をする時は、ただでさえ自信がない自分の英語がどんな風に聞こえるか気になり、とても緊張します。一方、留学生同士でランチを食べたり、図書館で宿題をしたりする時は、解放感で私の舌もなめらかになります。

群を抜いて頭が良かったタイの留学生

仲の良い留学生の中で、群を抜いて頭の良いのがタイから来たソンパンでした。年は私より15歳ほど若いのですが、とにかく頼りになる存在。

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微笑みの国の人だからか、それとも育ちの良さなのか、常に笑顔で怒った顔を見たことがありません。また、私などは一学期に3つ授業を取るだけでも精一杯なのに、彼はアメリカ人の学生と同じように5つも履修し、軽々と課題をクリアしていました。アメリカで育ったわけでもないのに英語は上手だし、ほんとにすごい。授業中の内容や出された課題について、わからないところは嫌な顔もせずに教えてくれました。

レファレンスの授業で

今でも覚えているのが、授業で当時最新だったレファレンスのテクノロジーを取り上げた時です。コ・ブラウズが紹介されました。これ、今では一般的ですよね。ただのスライドシェアではなく、相手の画面を自分がコントロールして、マウスを動かすブラウザ共有の機能です。しかし、これ、現物がないまま口で説明を受けたら、日本語でもなんのこっちゃと思いませんか。私にはサッパリ理解できませんでした。あまりにも理解できないので、ソンパンが、簡単な英単語を並べ、

He can see your screen of your pc. You cannot control your screen. He can control itとかなんとか、幼児にかみ砕くように教えてくれました。その他の内容は全く覚えていませんが、とにかく彼がこの概念を懇切丁寧に説明してくれたおかげで、その日の授業がしっかり頭に入った、このことだけは鮮明に覚えています。

卒業後、彼とはしばらく音信不通でしたが、彼がその後ノースカロライナ大学でPhDをとり、しばらくアメリカでポスドクをしたあと母国で准教授のポストを得てからは、学会やプライベートで来日するようになり、会う機会が増えました。会うたびに最近指導している学生の研究テーマや、自分の取り組んでいるプロジェクトなどについて、私にも分かるようにわかりやすく教えてくれます。それは昔と全然変わっていません。

キンメル教授の初日の授業で打ちのめされた私も留学生のクラスメイトが少しずつ増えてきて、ハードながらも楽しい学生生活になってきました。

しかし、このあと、生まれて初めてのレポートで、留学生仲間のうち私だけがふかーい奈落の底につき落とされることになるのでした。

(つづく)