【18】子供達のアメリカ生活サバイバル-男の子編①

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次男は、アメリカに来たとき11歳でした。しばらくは、「なんか、引っ越ししてきたって気がしないんだよなー。旅行でホテルに泊まってるみたいな気がする」とつぶやいていました。

彼の場合は、放課後に自分勝手に外に遊びに行けないというのが何と言ってもストレスでした。13歳以下の子供は、保護者付きでなければ外出できません。

松岡享子さんが翻訳したクリアリーのヘンリー君シリーズには、クリッキタット通りに住む子供たちが、一緒に遊んだりけんかをしたり、お小遣い稼ぎに新聞配達をしたり、楽しい日常が生き生きと描かれていますが、あれは1950年代の遠い昔の話。アメリカの子供はかなり大きくなるまで、外出は運転手(=親)つきです。

なので、私が不在の時には、次男は家で妹たちと遊ぶか、お隣の家に行くしか選択肢がありませんでした。日本にいたときは、ランドセルを家に置いたら好きな場所に出かけていたわけなので、相当な変化です。ちなみに長男は、学校から帰ると殆ど部屋にこもりきり、次男と男同士で遊ぶことは滅多にありません。この頃の2歳差というのは結構大きいですね。

そんなこともあり、次男は二軒長屋のお隣の日本人家族のお宅にしょっ中お邪魔していました。お隣は4人のお子さんがいて、三番目の男の子が1歳半ぐらい、小さい子供が大好きな次男は、裏庭でよく面倒を見ていました。

ユウスケ君が面倒を見てくれてとても助かります、とお隣の奥さんからはいつも感謝されていました。

しかし、日本に帰国してから何年もたって長女が何気なくこんなことを口にしたことがあります。

「私さー、○○さんちのお母さん苦手だったんだー。ユウスケだけオヤツに呼ばれて、私とハルナは来ちゃダメってこともよくあったんだよ」。

私にはいつもとても良くして下さった方なので、ちょっと意外でした。しかし、考えてみたらそれはそうだ。マダムが帰った後、子供達だけで過ごす数時間、しかも忙しくなる時間帯に、子供たちみんなでお隣に入り浸っては迷惑に決まっている。そのあたり、もう少し気を使えば良かった。

小さい娘たちには、なぜお兄ちゃんだけが歓迎されて、自分たちは家に入れてもらえないのか理解するのは難しかったでしょう。また、当時そのことを私に話さなかったということは、それだけ母親に気を使っていたからだろうとも思います。小さかった子供の気の使いように胸がチクチク痛みました。まあ、世の中は思う通りにいかないことを、ここから彼女たちは学んだはずで、全て無駄ではなかったと思いたい。

次男の話からちょっとそれてしまいました。 

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次男も学校では日本人のクラスメイトやトルコ人の友達もでき、一応嫌がらずに毎日行っていました。

次男がする学校の話でびっくりすることは時々ありました。零下10度の真冬日に「今日の体育はプールだった」と言ったり(温水プールで水着は貸し出しです)、5年生で一桁の掛け算を習ったり。とりわけ、9の段の覚え方がとてもユニークでした。「9の段 指」で検索をすると沢山の動画やサイトがでてきます。知らない人は見てみてください。

9x3を例にとると。
両手を広げ自分の方に向ける。左手の「3」番目の指を折る。折った指を境にして立っている指を数える。左は2本、右手は7本残っている。左の2本を十の位として見ると、20と7で27。9x3は27。9x4の場合、左手の4番目の指を折る。残りの指は、左側が3本で、右側が6本。答えは36。9の段を暗記しなくても良いのです!

日本から来た子供は、計算に指を使うなんて・・・と呆れます。九九や四則計算が瞬時にできるので、天才扱いをされることも。しかし、これ、前回お話した「正解セット」がある記憶ものだからです。大きくなるにつれ、答えがない問題を創意工夫で取り組むことが苦手になり、イノベーティブな発想がなかなかできない。私の大学院の宿題のように。今の子供はどうなのでしょうか。

昔と少しは変わってきたと信じたいです。

(つづく)