【19】週20時間の図書館の仕事、悔やむことも多い

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私の典型的な1日

 大学院の授業と子供の学校がちょっと軌道にのってきた頃、図書館での仕事が始まりました。ピッツバーグ大学の東アジア図書館にあった日本情報センターは、その名の通り日本に関する情報を提供するセンター(小さい図書室)でした。

1980年代後半、日本がJapan as No.1と謳われたころ、マンハッタンのロックフェラービルなど、アメリカの象徴が日本企業に次々と買収され、アメリカは対日貿易赤字に苦しみ、ジャパンバッシングが起こります。そんな中、日本について正しい情報をきちんと提供していく機関として、外務省の外郭団体の資金援助でこの情報センターが作られました。設立の経緯からも、また、ピッツバーグ大学が半官半民の大学だったことからも、大学所属の職員や学生に限らず誰でも利用でき、カウンターとメール、電話によるレファレンスサービスを行っていました。現在はその役割を終えたのか、物理的な機能としては消滅してしまったようです。

私の一日は、図書館での仕事がある日と、大学院の授業がある日に大きく分けられました。時には仕事のあとに授業というケースもありますが、基本的には自分の好きなように仕事のシフトを組んでいました。ちなみに大学院の授業の殆どは夜に行われていました。

今思うと、私をこのポジションに採用しようと考えたNさんの期待は、残念ながらことごとく裏切っていたのではないかなあと悔やまれます。前にも書いたように、当時の私は言われた仕事を忠実にそつなくこなすことは得意でしたし、そのおかげで仕事のできる人というイメージをふりまいていましたが、価値を生み出す仕事というのはどういうものなのか、全く理解していませんでした。仕事の本質を真面目に考えるようになったのって、帰国して再就職してから、もっと言えば、50歳になって今の夫と再婚してから、なんじゃないでしょうか。生き馬の目を抜く外資系の会社で日本の社長を10年勤めた人の言うことは全然違うなあと素直に思います。翻って、この頃の自分はというと、仕事は誰か上の上の上の人が決めて、天から降ってくるようなものだと思っていたふしがあります。決して怠けていたわけではないのですが、こんな私が自ら何かを考えて提案するなんておこがましいと思っていたのですね。全くそんなことないのに。

ある日、私が一生懸命ホームページのメンテをしていた時のこと(たしかパスファインダーか何かの更新だったと思います)、Nさんが部屋に入ってきて「あなたはそんなことをするんじゃないの。もっと頭を使ったことをやってほしいの」と言われたことがありました。頭を使う?一体なにをすればよいのかしら?正直全然わかりませんでした。

ああ、タイムマシンにのってあの頃の自分を助けてあげたい。。。

 

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「壺を鑑定してくれませんか」

さて、そんなわけで、私は日がな一日レファレンスデスクに座り、ホームページのメンテをしたり、お客さん(利用者)をただただ待って、質問に答える日々でした。しかし、自分から情報発信しなければ、お客さんだってそうそう来やしません。大学院の宿題の文献を読んだりということもしておりました(すみません)。でも、この時間がなかったらきっと卒業できなかったんだろうなあ・・・。

日本研究の先生が「論文に引用する文献の書誌情報がわからなくなった」と相談しにくるような時は、もちろん腕の見せ所ではありますが、一般市民の質問は時々「えっ」と思うようなものでした。たとえば、「これは日本の壺だと思うが、鑑定してくれませんか?」とか、古いお札に日本語が書いてあり、それを頼りに昔の知人をつきとめたいとか、「なんでも鑑定団」や「公開大捜索」みたいな相談がありました。答えるべき質問とそうでない質問には明確なガイドラインがありましたが、なにしろ時間がたっぷりあるので、そういう質問にも丁寧に答えたり、他の機関を紹介するということをやっていた記憶があります。

私が本来期待されていた仕事は、日本情報センターの存在価値を高めて利用者の役に立つような仕掛けやサービスを、既存の枠を超えて考え実行することです。予算がなかったらどこかから取ってくる。そのために資金調達の授業があるのだし、プロポーザルの書き方の授業だってあったわけです。でも実際の私はタイムスケジュールに追われ、そんなことを思いつく余裕すらありませんでした。

もっとも、この「できなかった」過去の経験は、今反面教師として大いに役立っているとは思うので、過去の様々な人々に心の中で陳謝&感謝しつつ、今をがんばるしかありません。

(つづく)