【32】あれはどう考えてもセクハラだった。Noと言えない日本人の私。相手を説得できない日本人の私。

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図書館に日参するサバティカルの教授



某国のサバティカルの教授 

前回、「基本的に人からの誘いを断れない」と書いたところ、意外だとの反応があったのですが、これに関連して思い出すことがあります。

ある日、仕事で日本情報センターのカウンターに座っていると、初老の男性がやってきました。とある国からサバティカルでやってきた日本研究の大学教授。サバティカルといってもその大学では特に成果を提出する必要もないし、論文を書く必要もないので、実質長い夏休みをもらっている様子です。奥さんも研究者で、母国だかアメリカのどこぞの州にいるんだか、とにかく離れて暮らしているということを強調されていました。

なぜその先生がピッツバーグにいたのか、どのくらいの期間滞在していたのか、全く定かではありません。が、いっとき、毎日のように図書館の私のいるカウンターに来ていました。最初はレファレンスの利用者だと思い、真面目に対応していましたが、そのうち、何故私がここにいるのか、どういうきっかけで留学してきたのかという話をすることになり、身の上をかいつまんで話すと態度が一変。あなたはなんて可哀相な人なんだ、私が力になりたい。もちろんぼくは妻帯者だ。しかし妻は離れて暮らしている。ここにいる間、ぼくが君の子供たちの父親代わりになってあげよう。そんなことを手をかえ品をかえ、畳みかけるように話してくるわけです。

今思えばただのセクハラ教授だった

私も4人の子持ちの未亡人とはいえ、まだ30代、今にして思えば完全にナンパだったんですね。ちなみにこれで恋愛に発展すればまた話は別なんですが、正直言って申し訳ないけれど魅力ゼロでした。 

今の世の中の基準で考えたら、この先生のやっていること、これは完全にセクハラ、パワハラに該当します。自分の立場を利用しているわけですからね。しかし、やっている本人もやられている私自身もそれに気が付かない。これがセクハラ、パワハラの巧妙な仕組みなのではないかと思います。

2、3日たった頃、私たち家族は先生の押しの強さで、夕飯をごちそうされることになってしまいました。子供たちの父親代わりになる気満々の先生、駐車場からレストランに向かって歩くとき、さっそく末の娘の手を引いていました。それを見て一気に私の中に嫌悪感が湧き出てきたのですが、いやいや相手は純粋に好意でやってくださっているのだから、こんな風に嫌悪感を持つ自分が悪いのだとその気持ちをおさめてしまいました。

我が家に行くと言い張る教授、そして・・

ある日、今度はその先生がお昼前にカウンターにやって来ました。そして、これから君のうちに行こうと言い出しました。はー?私は耳を疑いました。あなたの家でお昼を作ってあげる、今から行こう。先生、無理です、昼休みは短いし、午後も仕事があるし、行って戻ることは不可能です。だったら速攻で作れる何かを作ってあげる、君の家まで車で15分、家で30分過ごして15分で戻ってくる、それなら大丈夫でしょ。

必死の思いで断ると、先生は諦めていったんその場を去りましたが、また戻ってきてはやっぱり行こうと言い張り、その繰り返し。だんだん疲れてきました。

不思議なことに、真昼間の図書館でここまで堂々と誘いを受けると、逆に自分がおかしいんじゃないかという気持ちになってくるのです。この先生の純粋な好意を無にして、あらぬ想像をしている自分が不純なのではとか。これもセクハラの仕組みなんでしょうね。とにかく私はいやいやながら自宅に先生を連れていくことを了解したのです。

家に着くなり、先生は掃除も行き届いてない部屋の中を見渡し、おやおやと苦笑しながら勝手に台所に入り、勝手に冷蔵庫を開け、あるもので勝手に調理をし、美味しくもまずくもない微妙なお昼を作ってくれました。しかし、食べながら言った言葉に、私はまた驚愕しました。これから時間があるときは、ぼくはここに来て掃除をしたり、料理を作ったりしてあげる。子供の面倒も見てあげよう。

ちょっと、いい加減にしなよ・・・さすがの私も堪忍袋の緒が切れかけ、その日の夜に知り合いに相談。同じ国出身の知人は、それは国民性もあるから悪気はないのかもしれません、でもはっきり迷惑だということを伝えるべきですねというアドバイス。もっともです。その日のうちにかなり強い調子のメールを書きました。メールでしか伝えたいことを伝えられないのは情けない。。

幸いなことに、私の体全体からほとばしる拒否感は伝わったようです。申し訳なかった、私はただ単にあなたの子供たちを可哀相に思っただけ(話が微妙に変わっている)、父親代わりになりたかっただけなのです、許してくださいという返事がきました。

その後、先生は図書館には来なくなり、いつ大学を去ったのかもわかりません。私の仕事にも影響がなかったのは本当に幸いでした。

(つづく)

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