【39】「平均的」とは一体何なのかを考えさせられたアメリカの誕生会

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 次男は当時小学5年生で、もうこの頃になるとお誕生会もやったりやらなかったり、家庭によって様々でした。が、ある時ピッツバーグ郊外のボーリング場を会場にクラスメイトの誕生会が開かれ、そこにお呼ばれしたことがありました。慣れない地図を見ながら車を走らせ、迷子になってさんざん次男に当たり散らしていた私。方向音痴は自分のせいなのに、今思うと可哀相なことをしました(今更だけどごめんよ・・・)。

どうにかこうにかたどり着いたボーリング場では、スタッフの仕切りのもと、最初にハッピーバースデーのお祝いをし、その後はボーリング大会。子供たちがゲームをしている間、母親たち(この時は父親はいなかったように記憶しています)は、近くのスタンドテーブルによりかかり、ずっと世間話です。

私は例によってお母さんたちの会話が聞き取れず、聞き取れてもタイミングよく会話に入れず終始聞き役。まあ母親同士の会話なんて、日本もアメリカも似たようなもので、その場にいない共通の知り合いの噂話です。会話に耳を傾けていると、盛んにaverage, averageという単語を使っていました。彼女たちには共通した「平均的なアメリカ家庭像」が何かしらあって、その尺度にあてはめつつ、あの家はどうだ、この家はこうだと噂しているのでした。

「平均的」ってなんだろう、と私は思いました。教育環境なのか、人種なのか、経済力なのか、、、。はたまたそれら全てなのか。彼女たちはどういう「平均」と自分たちの暮らしを比較しているのかしら?それが彼女たちの幸福度に大きく関係していることは間違いなさそうでした。あまりにも色々な文化的、歴史的背景の人が入り組んでいるため、ベンチマークするものも自分の所属している(と認識している)コミュニティによって変わってくるのだなと思いました。 

さて、しばらくすると、今度は長女がクラスメイトの男の子の誕生会に呼ばれました。実は、これが「アメリカって本当に多文化社会だわ」ということを改めて感じた興味深い誕生会だったのです。

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まず、その男の子は日時を指定し「必ず来て!」と念を押していたにもかかわらず、その当人がいつまでたっても現れませんでした。会場は彼の家ではなく、車で5分ほど行った公園。会場が公園だと聞いた時点で本当にやるのかなあと半信半疑だったのですが、行ってみると我々母娘だけでなくクラスの何人かの親子がすでにそこに待機していたので、私の聞き違いではありませんでした。

しかし待てど暮らせど当人現れず。一緒に待っていたお母さんの一人は、洗濯物がそのままになっているとかで娘たちを残しいったん家に帰り、私はそのお母さんのボーイフレンドと世間話をしながら待つこと2時間!

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気が付けば時刻は夕方。サマータイムを導入しているアメリカなので日の入りまではまだまだですが、気分的には家に帰って夕飯の支度をする時間です。もういいや、結局来なかったんだ、もう帰ろうと娘たちに声をかけ、車に乗ろうとしたその瞬間、男の子とお祖母さんがのった白い乗用車が駐車場に入ってきました。

ようやく来た!と娘たちは喜んでいました。男の子とお祖母さんはニコニコしながら車から降りてきました。「待たせて悪かった」とわびるわけでもなく、お祖母さんの言った一言にまたびっくり。「これからこの公園で誕生会をやるけど、そのための買い出しが必要だから、今からスーパーに行ってくるわ。孫の面倒お願いね」。

さらに驚いたことに、私とずっと世間話をしながら待っていた保護者の男性は、そのお祖母さんの言葉にまったく動じず「わかった。お金は足りる?20ドル渡したほうがいいかな」と言いながら、お祖母さんに10ドル札2枚を渡したのです。

一体、なにがどうなっているんだ。

聞きづらいですけど、これって普通のことなんですか?お祖母さんが車に乗って再び姿を消すと、私はその男性に聞きました。男性はわっはっはと笑って、そうでもないよ、と言います。でも彼は元ヒッピーでこうした多文化社会を積極的に受け入れようとしている類の人物だったようです。というか、そういう人でもなければ、この男の子の誘いに素直に応じて2時間私と一緒に待つということはしなかっただろうし、私のつたない英語につきあって2時間世間話もしなかっただろうと思うのです。

それから30分後、ようやくお祖母さんは戻ってきて、そこから公園内のテーブルを勝手にセッティングし、誕生会が始まりました。今日は孫の誕生日なの、あんたがたも、ささ、食べて食べて。知らない人にも声をかけまくり、途端にその場は賑やかなパーティと化しました。

2年間のピッツバーグ生活でも5本の指に入る強烈な思い出がこれ。余談ですが、予想外のロングランとなっている「Ex libris ニューヨーク公共図書館」という映画、皆さんご覧になりましたか。これは日本社会のレンズを通して見ただけでは表面的にしか理解できないのではないかなと思います。色々な社会階層の人が本音と建て前を巧みに使い分けながら多文化のるつぼで個々人の知恵を用いて生きている。公共図書館がこれら全ての人に平等にサービスを提供することなど絶対にできるはずはなく、どこかで折り合いをつけているはずだ。そういう視点もなしに、アメリカは素晴らしい、日本はダメだという感想を述べるのはいかがなものかと思うわけです。

(つづく)

 

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