1950年代のストーリーテリングの作法
プロのストーリーテラーであるフラン・ストーリングスさんにメールをすると、直ぐに返信をいただきました。
フランさんはメールの中でこんなことをおっしゃっていました。
Please try to tell in your own words! Or do a synopsis in English first, and then tell in fluent Japanese with lively gestures --
you'll be amazed and pleased to find that children can follow your story very well.
(ぜひ自分自身の言葉で語ってみてください! あるいは、英語であらすじを伝えてから、日本語で生き生きと身振り手振りを交えながら語ってごらんなさい。子供達があなたの話をちゃんと理解できるのを見て、皆んな驚いて感動すると思いますよ)。
藤田さんと全米各地を回って日本語でおはなし会をやっているフランさんならではのアドバイスでした。残念ながら私の聞き手は子供ではなく先生とクラスの大人たち。一応英語でやるという課題になってるし、、。私が、英語のテキストを暗記して披露せざるを得ないと言うと、こんなこともおっしゃいました。
「日本に行って驚いたのは、1950年代にアメリカで流行ったやり方を今も忠実に守っていることです。1950年代当時、アメリカの『オフィシャルな図書館スタイル』はあなたの言う通り、テキストを記憶して声色もジェスチャーも用いず静かに語るというものでした。でも今は違います。アメリカではもっと自由にやっていますよ。そのことを私はさんざん日本で伝えたのですが、皆んな恥ずかしいとか馬鹿みたいと思うようで、なかなか受け入れてもらえませんでした」
表現の選択肢は色々であるべき
国民性の違いもあるだろうなあと私は思いました。日本人の多くにはこの1950年代スタイルがマッチしているんだなと。子供の頃から間違うことを否定されることなく、言いたいことを伝えるスキルを養い、自分を自由に表現することに慣れているアメリカの人たち。クラスメイトも飛んだり跳ねたり声色を使うのは、本人達がそうしたいからなのです。一方で表現したい自由は担保されるべきだから、たった1つの方法をまるで茶道のお作法のように万人に押し付けるのも正しくないな。私はそう感じました。
そう結論づけた上で、私はやはりテキストを覚えて淡々と語ることにしました。なぜなら、フランさんの英訳した素晴らしい昔話に出会ったからです。
福島の王老杉伝説に基づく昔話「おろす」
その昔話は「おろす」というちょっと変わったタイトルの話。私が生まれ育った福島の昔話で、王老杉(おろスギ)という杉の木にまつわる話でした。元々これは遠藤登志子さんという昔話の語り手の膨大な話を、藤田浩子さんが収集、録音したものの1つで、それをフランさんが英訳したものです(遠藤さんは既に亡くなっていましたが、高校生の頃に私は遠藤さんの語りを生で聞いたことがあります)。
遠藤さんの昔話には結構エロチックな話も多くあり、この話も大事に育てた娘が知らないうちに妊娠してしまうというストーリーでした。しかもその相手の正体が謎めいているという。
両親は一計を案じ娘の相手の正体をつきとめます。それは、家の前にそびえ立つ杉の木の精でした。この王老杉(オロスギ)名前にちなんで「おろす」と名付けたがために恋をされてしまったという!
木の精の子供を身ごもった、とんでもないということなり、村の衆総出で切り倒しにかかりますが、一晩経つと傷ひとつない元の姿に戻ってしまう杉の木。
ある晩、1人の謎の男が木を切り倒す唯一の方法を教えます(なぜ男がそんなことをしたのかは、ここでは省略しますね)
謎の男の言う通りに斧を振り下ろして木屑が出るたびに、せっせと燃やす村の衆。とうとう杉の木は切り倒されます。
しかし最愛の恋人を失った娘の悲しみは深く、双子の子を産み落として直ぐに死んでしまうのです。子供も一緒に死んでしまいました。
村の衆はこの杉の木で立派な橋を作り、以来その橋は村を氾濫から守り、橋を渡ればどこからともなく楽しげな声が聞こえるのでした。おしまい。
これをクラスで語ると、皆んな思いのほかのめり込んで聞いているように見えました。長い長い話なので覚えるのも大変だった!でも、この経験はその後の人前でのプレゼンにも生きているなと思います。
(つづく)
参考
https://spiritoftrees.org/orosu
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