【52】架空の町の架空の大学に架空の図書館を計画するというグループワークから物事を俯瞰してみることの重要性を学んだ

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グループワークにもだいぶ慣れてきた

ライブラリースクールでグループワークを何回かこなすうち、最初の頃は会話の中に殆ど入れなかった私も、徐々にコツをつかめてきました。相変わらずディスカッションはちんぷんかんぷんなことの方が多いのですが、それでも話を大づかみに理解し、今どの辺のことを話し合っているのか、そこに自分はどんな風に関われるか、瞬時に空気を察知するスキルが身についてきたわけです。

アメリカ人だらけのグループに私一人が留学生、というケースの場合、みんなの話を黙って聞いているだけだと、何を考えているかわからない謎の人と見られ、空気のような見えない存在に扱われてしまいます。そうならないように何かしらアピールできることはないか私なりに一生懸命考えました。

どんなに小さなことでも自分が貢献できることを探す

ディスカッションに貢献できない代わりに、私は発表のプレゼンのパワーポイントを作ることを申し出ました。当時、驚いたことにクラスメイトの多くはスライドに文字をベタ打ちする程度のスキルしか持っていませんでした。そうか。だからデジタルアーカイブの評価のプレゼンの時も、インターネットの画面を映してポインターを動かすだけだったのか・・・。

私が体裁の整ったパワポのスライドを作ってあげると、「わーすごい、Yokoはパワーポイントロックスターね!」などと褒められました。画像やアニメーションをちょこっと入れるだけでロックスターって言われてもねえ・・・という感じなのですが、とにかく自分にも貢献できる仕事があってほっとしました。

どうしてこんなに架空設定の課題が多いのか

さて、この図書館経営論のグループワークではこんな課題が与えられました。

「架空の町にある架空の大学で獣医学部を新設することになった。そのため図書館計画をゼロから作りなさい」

資料として町の人口構成や産業、大学のデータが与えられ、それらを元に自分たちで土地の確保、建設費用、什器、スタッフ、そして資料選定の予算を考えて計画書を作るのです。

今でこそ、この手のケーススタディ的な研修は珍しくなく、あちこちの企業で行っていると思いますが、当時は「なんでアメリカって架空設定の課題ばっかりやらせるんだろう」と不思議で仕方ありませんでした。少なくとも私がそれまで経験した大学や会社などでは、見たことのないアプローチだったからです。一体これで何が身に着くんだろう、こんなのでっち上げじゃないか、と私はまたしても思いました。前にも書いたように「正解セット」のないものを自分の頭で考えるという訓練をしないまま大人になってしまったので、この手のことが本当に不得意だったんですね。

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ビッグピクチャーを描く訓練

日本の司書課程でも似たような課題を与えることはあると思いますが、「図書館の組織の種類を挙げ、それぞれについて自分自身の考え方を含め論ぜよ」みたいな、与えられた文献を読めば模範解答が書いてあって、そこにちょっとした自分の意見を色付けすれば出来上がり、みたいなスタイルが多いのではないかと思います。

アメリカのライブラリースクールのアプローチは、同じ机上の空論でも相当なダイナミックさと馬力が要求されました。勿論学生の考えることなんて稚拙だし、たいしたことはありませんが、少なくとも、図書館を建てる際、誰がどういうニーズを持っていて、それに対して何をどのような形で提供するか、そのためにお金がどれだけかかるか、これを「自分事として」考える習慣が身に着き、自分の行う仕事が最終的に何をもたらすかの想像力が培われたと思います。

この点、「本が好き」で「整理整頓が好き」なだけの人は、図書館がなんのためにあるのかという視点にどうしても欠けます。今の時代ひょっとしたら図書館なんかいらないかもしれない、なんて考えもしなかったり。ともすれば枝葉末節なくだらないことに目を奪われ、世間のニーズからどんどん離れ、独りよがりの自己満足なサービスばかり追い求める。何万人という市民のうちの一体何人がそれを必要とするんですか、みたいな。目先をちょっと変える意識が必要なのかもしれないですね。

どんな仕事でも全体を俯瞰した上で、自分の立ち位置と存在意義を確認する、そのエッセンスをライブラリースクールの中で学んだ気がします。

(つづく)