楽しんで受講した「日本社会」の授業
卒業後はアメリカの大学図書館の日本研究司書のポジションで就職をねらうことを見越して、「ないよりあった方がマシかもしれない」と思い登録した日本研究のサーティフィケイトプログラム。最初に取った授業は「日本社会」という概論的な授業でした。学部生向けに開講されているもので、履修人数も100名超と多く、アメリカの大学に来て、初めて私は巨大な階段教室での授業を経験しました。
授業の内容は、日本社会を様々な側面から切り取り考察するというもの。毎回小テストがあり、5問中3問正解することが義務付けられていました。
歴史はもちろん、芸術、サブカル、学習塾、教科書問題、結婚と離婚、日雇労働者問題、こんなことまで?と思うようなテーマの文献が宿題として与えられました。以前、娘のクラスの先生が「Taro san」はTaroがファミリーネームで、Sanが名前、と教えたと聞いた時には、アメリカ人一般が持ってる知識ってその程度だよね、と思っていましたが・・・。日本人でも必ずしも知らないテーマに取り組む研究者がこんなにいるなんてと。毎回文献を読みながら、私は認識を新たにしました。
100名超の大規模クラスにも関わらず、学生はみんな積極的に議論に参加していましたし、私自身も外側から日本社会をとらえる良い機会だったと思います。毎回の小テストは、日本人なら常識とされる問題が大半でしたし、試験も中学の歴史を少し難しくした感じのエッセイを書くといったものだったので、この授業の単位は比較的楽に取ることができました。
ジェンダー・スタディのゼミ
ところがです。次のセメスター、私はこのプログラムでジェンダースタディーのゼミを履修することにしましたが、想定外のことが起きました。
留学したての頃、図書館情報学の概論であまりの宿題の多さに愕然とし、日本に帰ろうと半ば本気で思ったことがありましたが、このゼミでのショックはその比ではなかったのです。入ってみて初めて知りましたが、このゼミは博士課程のレベルが要求されました。サーティフィケイトプログラムの認定授業といいつつ、日本研究には特化していないため、私自身が日本人であるメリットも全く生かせません。自分の研究テーマを決め、毎回のゼミでは与えられた文献をもとにディスカッションする。初日の説明を聞きながら、これは大変場違いなところに紛れ込んでしまった、どうしようとオタオタし始めました。
このままではメンタルがやばい
家に帰ると、今までにないような体調の変化に気づきました。普段は人の2倍も3倍も頑丈な私。それなのに体に力が入りません。ソファーに横になり、天井を見上げると、気力が体から抜けていく感じがしました。同時に、なんだか心臓が破れてそこからビュービュー風が吹き込んでいるような気持ちにもなってきました。
あきらかにこのままではまずい。私はメンタル面で健康を害して医者に診てもらったという経験はないのですが、この自覚症状はほおっておくと鬱になるかも。これがあのゼミを続けなくてはならない不安から来ていることも、十分わかっていました。
潔く辞めることにした
ライブラリースクールの課題の多さでも私が乗り切れたのは、ライブラリースクールは誤解を恐れずにいえば「頭を使わない」プログラムだからです。非常に実践的で「勉強」の域を出ず、本格的な「研究」ではないからです。じゃあ研究とは何か。これはあくまでも自分で仮説を立て、解明されていないことを新たに発見したり、解釈することでしょう。だから片手間にできることではない。基本的なお作法も知らず素養のない自分には到底無理な話なのでした。
心臓に穴が開いてビュービュー風が吹き込んでいる感覚を得たことで、私は潔くドロップアウトする決心がつきました。とにかく、ライブラリースクールに専念しよう。後のことはそれから考えることにしよう。
履修届を取り下げたとたん、どよーんとした気持ちが嘘のように晴れやかになりました。あー、やっぱり障害物を取り除くって重要。大事に至る前に気づけてよかったよ・・・。
退く時には潔く退く。退いたら全く別のルートが見つかるということもよくあることです。そして、私の場合も、この後しばらくしてから、全く別のルートが見つかりました。あの時、プライドとか見栄に惑わされずにドロップして本当に良かったなあと思います。
(つづく)