【68】② 思いがけない日本からの一本の電話で、アメリカでの就職活動は予想外の展開に(その2)

アメリカでの子連れ留学生活から遡ること3年前、当時の私は35歳。話のつづきです。

書類が英語なことにすら、驚いていた自分

さて、「この会社で働きたい!」という一点のみで、大学の先輩に連絡をとり、面接の機会を得た私でしたが、その後のメールに添付された書類を見て、呆然としました。ジョブ・ディスクリプション、つまり、応募するポジションがどんな仕事をするのかを書いたいわゆる職務記述書が、今にして思えば当たり前ですが、英語で書かれていたのです。その英語が、辞書なしでは殆ど理解できませんでした。たとえばPharmaceuticalという単語。なにこれ?見たことも聞いたこともないわ。意味がわからず辞書を引き、この時に「医薬品の」という意味だと知りました。つまり、そのぐらいの英語力しかなかったのです(趣味でNOVAの英会話には行っていましたが)。

しかも、データをカスタマイズするだとか、分析するといった言葉もちりばめられており、一体自分は何に応募したのか、さっぱり見当もつきませんでした

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見よう見真似で書いた履歴書を添削してもらう

履歴書を英語で書くということも初めて知り、ビビりまくりましたが、どうにかこうにか書き上げて、間違いだらけの英語を帰国子女の知人に添削してもらいました。

とりあえず自分でできる準備は、面接官となるGMがこれまでに書いた、業界関係の論文や記事を読んでおくことぐらい。「薬学図書館」とか「情報管理」とか「情報の科学と技術」とか(世の中にはそういう雑誌があるんです)。何か聞かれたら、そこに書いてあることを、さも自分の意見であるかのように喋ることにしよう・・・。


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二次、三次と面接は進んだ

こうして臨んだ面接、これといった手ごたえもなく、きっとダメだろうなあと諦めていると、意外にも人事の担当者から「〇〇はとても有意義な話し合いができたと喜んでおりました」というメールが。ほんと?それともお世辞?いずれにしても、次回面接の日程が決まり、今度こそはだめだろうと思っていると、また次回面接の予定が組まれ・・・。こんな風にして、一体いつまでこのプロセスは続くのかしらと思いつつ、何度も何度もオフィスに足を運ぶ日々が続きました。
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VPとの面接はホテルの朝食

事実上の最終面接は、当時アジアパシフィックの担当だったアメリカ人の副社長とのブレックファストミーティング。実は、ここまでくれば、あとは、彼女を採用したいからよろしく、という顔合わせの意味でしかないということは、今ならわかります。が、当時は、ああ、もうダメ、終わった・・・と思いました。まず、VPの言っていることがあまりにも理解できず、わかっていないことがGMにもばればれで、「How much percent do you think you can understand what he says?」(彼の言っていることを何パーセントぐらい理解できてると思う?)と聞かれる始末。最大限に盛りに盛って「70%」と答えましたが、実際はちっともわかっていませんでした。このビジネスに密接に関わる、当時の日本政府の政策的な動きを何も勉強していなかったからです。

「遠山プランも知らなかったなんて」

2001年、当時の文部科学大臣が国立大学の構造改革の方針として、再編統合、法人化と民間手法導入の指針を発表し、これが通称「遠山プラン」と呼ばれました。今も続く、日本の大学再編のとっかかりとなったものです。そしてこれが、実は自分が応募しようとしているポジションとめちゃくちゃ関わりのある指針だったのですが、そこを全く抑えていませんでした。データベースの機能がすごくて感動したという程度のレベルでしか、このビジネスを理解しようとしていなかったのです。後日、「遠山プランすら知らずにこのポジションに応募したのかと、愕然としました」とGMに言われたのですが、今考えても、あれでよく採用しようと思ってくれたと思います。そして、あのまま入社していたら早晩クビになったのではないかとも思います。

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オファーレターにサインをする直前に白紙に 

最初に連絡をとってから1、2か月。プロセスは長かったのに、採用されることが決まると、もう一刻も早く会社を辞めて来てくれないと困るぐらいの勢いでした。

ところが。自分の上司に退職する旨も伝え、いよいよオファーレターにサインをするという段階で・・・突然夫が倒れてしまいました。転職は白紙に、退職届は幸か不幸かまだ受理される前でした。そこから先は、病院と会社と保育園と西友を毎日はしごする日々。そして、その後のことは、このブログの最初で書いた通りです。

2004年に時計の針を戻します。3年前に白紙になった転職話、その転職先のGMから、どうしてピッツバーグの自宅にいきなり電話がかかってきたのか。一体だれが番号を知っていたのか。

それはこういうことでした。

(つづく)