【72】東京での就職が無事に決まった

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無事に採用となり帰国が決まる

数回にわたる電話面接がようやく終わり、2005年5月の末、私はアメリカに本社がある情報サービスベンダーの東京勤務の営業職で採用されることが無事に決まりました。子供達に日本に帰る旨を伝えると、上の3人は予想外の喜びよう。アメリカにはそれなりに慣れたはずだけど、それでも彼らなりに色々な苦労があったんでしょう。現地校と補習校のダブルスクールも大変だったと思うし、親の付き添いなしでは友達と連れ立って遊ぶこともままならなかったし、よそ者の外国人という立ち位置も相変わらずでした。ネイティブに完全に溶け込んでいたのは末の娘だけでした。もう数年経てば状況も変わったと思いますが、私のエゴに付き合う期間としてはまあ2年がせいぜいかなあと思ったことでした。

帰国までの猶予期間2ヶ月

さて採用が内定すると、会社からは3年前と同様、今すぐ帰国して会社に来てくれないと困るぐらいの勢いで入社できる時期を聞かれました。が、私には8月までは絶対に帰国できない理由がありました。それは長男の高校受験です。帰国子女枠で都立高校の受験資格を得るためには、「2年以上海外にいました」というパスポート上の証拠が必要で、ちょうど2年が経過するのが2か月先の8月初めだったのです。加えて勤務先の大学図書館の契約も残っていました。後任を探し引き継ぎも行わないといけません。そのことを会社に告げると、8月入社は認めてもらえました。が、その代わり、6月に東京で社運をかけた(というニュアンスに聞こえた)大々的なイベントがある、それに参加するとしないとであなたの仕事が今後成功するか否かがが大きく変わる、なので一時帰国をするように、とのお達しがありました。立場としてはまだ入社前なのですが、そこまで言われて行かない理由はありません。

となると、子供達の世話を誰かに頼まないといけません。母に相談すると、私の妹が仕事を辞めたばかりで暇にしているから手伝ってもらったら?という話になりました。、旅費は母が出してくれました。今思うと相当な甘えでしたね、、。私もいまだに子供達、特に末っ子からはスネをかじられ続け、もうかじるところも殆どないぐらいだけど、、、。歴史は繰り返すということなのか?早く一人前になってくれと願うばかりです。

こういった個人的な出費ですが、会社に対して半分負担してもらえないかなどの相談をすべきだったのではとも思います。しかし元来奥ゆかしく遠慮がちな性格なものですから(?)、そんなことは思いつきもしませんでした。内定取り消しとなる事態は避けたい、そればかり考えていたのだと思います。今でも買い物などで交渉するのはとっても苦手。多少値段が高くても気持ちよく買い物したいタイプです。

 

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子供達のヤードセール

8月に帰国する。だとしたら逆算していつまでに何をしなければいけないのか、まずはその計画を立てました。一番大きな仕事は家をどうするかです。一番簡単なのは私が渡米の際にやったように、家具も車も何もかもまとめて引き取ってくれる日本人を見つけることです。が、子供のいる家族がアメリカに赴任するケースは数も少なく、また、多くの人はコンシェルジュがきちんといるセキュリティ完備のアパートを選びたがりました。日本人のメーリングリスト経由で声をかけ、何人か見学には来たものの、2年間で住み荒らした二軒長屋の家に食指を動かされる人はいませんでした。

仕方がないので、家財道具を出来るだけ売りに出し、残りは処分して全て空き家にしてから家主に明け渡すことに決めました。

メーリングリストでの告知と合わせ、ヤードセールをやってみました。値付けも店番も子供達に任せたところ、自転車やブランコなど、大掛かりなものが結構売れました。キャノピー付きのブランコは、ホームセンターで衝動買いし玄関前のポーチに設置したもの。映画「バックトゥーザフューチャー2」で主人公のマーティンとドクが気絶したジェニファーをとりあえず置き去りにするのが、このポーチ・スウィング。アメリカっぽい~と憧れたものですが。。「ちびまる子ちゃん」のお母さんなら「西洋人の真似なんかして!」と呆れるところですね。物珍しさに使ってみたのは最初の2,3回だけ、あとは殆ど使用せずに終わりました。(つづく)