【73】話はひと月ほど遡る。無事に卒業でき修士号をもらえたが感慨はなかった

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そういえば無事に卒業できていた

卒業式の1週間前に東京から一本の電話があり、そこから怒涛の電話面接月間をくぐり抜け、ついに就職が内定。実はこの間、無事に卒業できて修士号がもらえたのですが、就職活動のインパクトが自分にとってあまりにも強すぎ、卒業できたという事実にはさほど感慨を覚えませんでした。ものすごい達成感に浸ることができるかと思いきや、そんなことはなく、子連れ留学を成し遂げた喜びなど正直まったくありませんでした。子連れ留学をした!という達成感は、渡米した最初の入学の頃に味わい、それで気が済んでしまったようです。大量のビザ申請書類と格闘したり、TOEFLの勉強をしたり、運転免許をとったり、ビザが下りるのを今か今かとヤキモキしながら待ち、そしてようやく家族5人でシカゴ行きの飛行機に乗れた時、あの時が達成感という意味ではピークでした。実際に卒業してしまうと、むしろ、次なるステップで私はつまずかずにやっていけるだろうか、そちらの不安で頭がいっぱいだったのです。

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クレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」

これまでも折に触れ自分の好きな曲として色々な人に紹介していますが、クレージーキャッツの「ホンダラ行進曲」、これは名曲だと思います。人生の不条理さを端的に表しています。どんなすごい難題をクリアしても、どんなに素晴らしいことを成し遂げたとしても、そこで終わるということはない。次に必ず別の超えるべき山がたちはだかる。ひとつ山越しゃホンダラダホイホイ、もひとつ越してもホンダラダホイホイ、越しても越しても・・・。まさにその通り。ただ、この歌詞は「どうせこの世はホンダラダホイホイ」「だからみんなでホンダラダ」と続く。つまり、避けて通れない難題が人生には次から次にやってくる、そもそも人生というのはそういうものなんだから、力を抜いて淡々と生きようよと、そういうメッセージなんですよね。 

その時々に感慨に浸る習慣を身に着けたい

となれば、やっぱりあの時「自分はよくやったなあ」とか「家族みんなでよく頑張ったなあ」と思い切り浸ればよかった。これは私の悪い癖です。思えばハロウィンの時もそうでした。宿題のことで頭がいっぱいで気もそぞろでした。また、帰国後会社に入って何年目かに、私は営業成績優秀者で表彰されるわけなのですが、その時も、表彰された喜びに浸るというよりは、来年数字が作れなかったらどうしようと、そんなことばかり考えていましたし、母を連れてコスタリカのリゾートにご褒美旅行させてもらった時にも、こんなことがずっと続くわけはない、いつかパフォーマンスが落ちるに違いないと、悲観的な気持ちが半分を占めていました。めったにできない経験を思い切り味わうということをしなかったのは悔やまれますし、母にも申し訳なかったです。

今は独立して一人で会社をやっていますが、サラリーパーソンだった頃、平日に有休をとってゴルフに出かけると、やっぱり頭の半分は仕事の心配で支配されていました。が、果たしてどんな心配だったのか、本当に一日休みをとったぐらいで影響の出ることだったのか、思い返すと、全く記憶にない。記憶にないということは、全然たいしたことではなかったんですね。だから思いっきりゴルフに集中すればよかったのです。こんな風にして私はいくつ貴重な経験を無駄にしてきたことか。必ずしも先の長くない人生、その時々の楽しいことに集中しなければと改めて思います(つづく)。