【76】怒涛の引っ越し作業の末についに完全帰国

なんと半年近くも更新をさぼっていました❗️

皆さまお変わりありませんか!? 

実は今日、某所で、このブログのタイトルを考えてくれた勝間和代さんから「ようこさん、175日も更新してないよ」と言われ、そんなに更新してなかったのか!と驚き心を入れ替えた私です😅

 

どこまで書いたのか、本人もすっかり忘れてしまいましたが、、。

そうそう、就職が決まって日本への帰国日も決まり、借家の引き継ぎ先を探しているところでしたね。

あれから色々あたってはみたのですが、結局、日本人コミュニティの中には適当な引き継ぎ手が現れませんでした。イタリア人の大家さんとしては、我々の後もこの家を日本人に貸すことを強く希望していました。家賃が滞る不安が少ないということなのでしょうね。仕方がないので、家の中を全部きれいにしてお返しすることになりました。

2年前、この家に日本から来た時には、家財道具がすべてそろった状態で生活をスタートさせたわけです。それらをすべて処分し、まっさらに戻すとなると、これは予想外の相当な作業になります。帰国日は8月2日。そこから逆算し、怒涛の引っ越し準備が始まりました。

メーリングリストやヤードセールで家財道具を処分

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メーリングリストやヤードセールで家財道具を譲り、段ボール箱を郵便局や寄付団体にせっせと運ぶという日が続きました。日本に送るものはすべて船便で郵送。2年間でぶつけたりこすったりしたボコボコの8人乗りのクライスラーは、お隣の日本人のご家族が引き取ってくださることに。あまりにも傷だらけなので、車検代を除いてただでお譲りしました。

日本から母と姉も来てくれました。転勤族の妻だった母、「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が大好き。二人は私と子供達が住み荒らした家をピカピカに掃除し、イタリア人の大家さんを驚かせました。

最後は中国人の同僚に一切合切を引き取ってもらう、そして。。

ダイニングテーブルなど、最後まで使う大きな家具は、大学の東アジア図書館の中国人同僚がまとめて引き取ってくれました。彼は天安門事件の頃、80年代か90年代の始めにアメリカにやって来て、図書館に就職、そのうちグリーンカードも取得、ライブラリアンの傍ら、レストランのオーナーをやったり留学生向けのアパート経営をしたり、本当に絵に描いたようなやり手でした。子供たちもみな優秀でハーバードなどハイレベルの大学に。こういう移民の成功話は当時よく耳にしましたが、そのバイタリティは一体どこから出てくるものなのか。やっぱりハングリー精神ってことなのかしら?私にはとても真似ができないし、そんな才覚などとてもありません。日本に仕事が見つかって、ほんと、よかったよ・・・。

そして帰国。初日の我が家で見たものは・・・

 

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そして、2005年の8月、ついに家族で完全帰国を果たします。

渡米前に住んでいた東京の古いマンションは、家財道具を置いたまま知人に住んでもらっていました。帰国が決まった時点で知人は引越すことになっていたので、我々家族はそのマンションに戻り、日本での生活が再スタートしました。

日本の学校は夏休みの真っ最中。マンションに着いたその日の夜、テレビで2年ぶりに見た日本のドラマは天海祐希さん主演の「女王の教室」でした。後に名作として語り継がれるわけですが、この時は、2年間アメリカの生活にどっぷり使っていた子供達、物珍しそうにこの不思議なテイストのドラマに身じろぎもせず見入っていました。しかし、夏休み明けに編入した学校では、このドラマの話で持ちきりだったらしく、クラスメイトの会話にすんなり入っていけた長女はほっと胸を撫で下ろしたそうです。

 

私の留学も無事に終わりました。次回以降は、子供達が日本の生活に適応していく様子、英語をキープするために何をしたか、長男の高校受験のことなど、備忘録として綴ります。引き続きよろしくお願いします。

(つづく)