合格通知の後はビザの申請
これも留学あるある話ですが、合格通知が出てからビザが下りるまでにはさらに約3か月を要しました。気を揉んだことは言うまでもありません。この間、2ちゃんねるが大変貴重な生の情報源でしたね。当時はまだTwitterもFacebookもありませんでした。
大学から身元保証書を発行してもらいビザを申請する
ビザを申請するには、まず、大学にI-20という身元保証書を発行してもらう必要があります。そのため大学からは「お金がきちんとあり、働かなくてもやっていけます」という財政的基盤を示す書類の提出が求められます。それをもって初めてI-20が発行され、ビザ申請が可能となります。
日本に必ず帰ると訴える書類を用意
しかし、ビザが確実に出る要件というのもこれといって確かなものはないし、ましてや4人の子供を連れて留学ビザを申請する独身女性のケースなど聞いたことがありません。とりあえず、日本に必ず戻ってくる証拠をいくつもそろえました。マンションの登記簿謄本の英訳とか、思いのたけをアメリカ合衆国に伝える作文とか。元の会社の上司に「留学後はうちでまた働いてもらいたい」といった手紙を書いてもらったり(下書きは私とNOVAの先生の合作ですが)。つまり、
「おたくの国で仕事や再婚相手を見つけて住みつこうなんて気は毛頭なく、勉強したらとっとと帰りますので、どうか入国を許してください」
という内容の書類を色々そろえたわけです。たとえ向こうで仕事を得たいと思っていたとしても、絶対にそういうそぶりは見せてはいけません。旅行でESTAをとる時もそうですよね。
そんなわけで、ネットの情報でこれは良さそうだと思ったものは可能な限り用意しました。それでも当時は面接もなかったし(その年の秋ぐらいから大使館の面接が必須となりました)、審査はまだゆるい方だったと思います。トランプ政権の今の時代はもっと厳しくなっているんでしょうか。
航空券は見切り発車で購入
お茶の水かどこかにある雑居ビルの中にビザの手続き代行を請け負っている会社があり、そこに申請代行をお願いしましたが、担当者は「ビザがおりるまでは絶対に飛行機のチケットをとらないでください」と念押ししていました。しかし、2ちゃんねるの北米留学スレの住人の話から、それは非現実的だとわかりました。多くの人はイチかバチかで先に航空券を買っていましたし、渡米のその日に空港でビザスタンプの押されたパスポートを受け取った、などという武勇伝も上がっていました。そんなわけで私も5人分のチケットを、ビザが下りる前に見切り発車で購入してしまいました。
はたして実際にビザが下りたのは、出発の1週間前でした。
しかしいま思うと、そんなにせかせか焦る必要はなかったなあと思います。本格的な授業が始まるのは9月からでしたし、私の場合、最初の学期は留学生向けの補習英語の授業が中心でしたから。いくらでも理由はつけられたのに、ここで渡米できなかったら入学資格を取り消されるんじゃ、とかいらぬ心配をしていたんですね。
桐島洋子さんにかぶれた私
8月になにがどうでも渡米すると決めたことで、子供たちにも迷惑がかかりました。次男は楽しみにしていた林間学校への参加ができなくなり、これは相当悲しかったようです。申し訳ないことをしました。しかし、彼も含めて、まだまだ子供たちは全員親の言うことに黙って従う年齢(13歳の長男もぎりぎりその年齢でしたが、このあとアメリカで反抗期のプチ引きこもり生活が始まります)。私にも有無を言わせない迫力があったのだと思います。
有無を言わさず「ママ、アメリカに行くことに決めたからね!」と言ったのは、桐島洋子さんの影響が多分にありました。桐島さんの著書は読んだことがなかったのに、アメリカに行くことを告げた友人の一人が、
「うちの母が『まるで桐島洋子さんね』と言っていたわ」
と言ったことから、すっかりかぶれてしまったのです。単純ですね。
「渚と澪と舵 」(文春文庫)で綴られた数々の破天荒ぶりには驚きました。若い人はご存じないでしょうが、桐島洋子さんは1937年生まれのシングルマザーのパイオニア。医療費がかからないからという理由で船上出産をくわだて、船旅を決行、日本の港に戻る直前に出産した話は有名です。今ならどこでどう炎上するかわかりませんね。
それに比べたら私はごくごくフツーに事を進めたということです。
いずれにしても、我々家族は無事に渡米することができました。
(つづく)
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