このブログについて&タイトル一覧

当ブログにアクセスありがとうございます

こんにちは。1965年生まれ蛇年の広瀬容子です。当ブログにアクセスいただきありがとうございます。

タイトル一覧はこのページの後半をご覧ください。

このブログは、私が36歳~39歳の約3年間の間に経験した「人生大逆転の出来事」を、今現在の自分の視点で備忘録として書き綴っているものです。

36歳で夫と死別し、4人の子供を抱えた寡婦、いわゆる未亡人になった私、特段に秀でた能力もありませんでしたが、当時年収300万円という経済状況から子供達を連れてアメリカ大学院に留学、学校と仕事と子育てに奮戦、その後再就職して年収は1000万超えになりました。ある意味、馬力によって人生を再創造した話です。

勝間和代さんにタイトルを考えていただきました

ありがたいことに、最近Googleで「子連れ留学」で検索すると、トップページに表示されるようになりました。皆様ありがとうございます。しかし、別段、アクセス数が飛躍的に伸びているわけではないので、テコ入れが必要かなと思っていました。

そう思っていた矢先、友人の勝間和代さんから「タイトルがキャッチ―ではない」というアドバイスをもらいました。当初のタイトルは「広瀬容子の子連れ留学備忘録」でした。その後「広瀬容子の子連れアメリカ大学院留学備忘録」に多少のマイナーチェンジをしました。が、人が読みたくなるようなキャッチ―なタイトルをつけるって、ほんと、難しいですね・・・。そこで、勝間さんが考えてくれたタイトルをそのまま使わせていただくことに。それが、

広瀬容子の、寡婦年収300万円からの人生大逆転、4人子連れアメリカ大学院留学奮戦記

です。

ブログを始めたきっかけ

2019年6月、私は東洋大学の「留学のすすめ」という授業に外部講師として登壇しました。学生さんに子連れ留学の経験を面白くわかりやすく伝えるために、スライドにフリーのイラスト素材を使っていたのですが、なかなか適当なものが見当たらず、だったら下手な絵を自分で描いてしまえと、何枚かのイラストをiPadアプリで描いてみました。すると、周囲の評判が思いのほかよく、これに気を良くしてブログに再利用することにした次第です。

そのようなわけですべてのイラストは広瀬容子本人が描いていますが、稚拙な絵であることを予めご了承くださいませ。

以下、記事タイトル一覧です。Happy reading!

タイトル一覧

【本編】

【1】ある日36歳で未亡人になった

【2】母子での留学の背中を押した海外日本研究司書の人たち

【3】母子留学の背中を押した「ムギ畑」:勝間和代さん主宰のワーキングマザー情報交換サイト

【4】図書館情報学で留学する。どの留学先を選ぶのか

【5】留学先はピッツバーグに決めた

【6】推薦状、これが本当に気が重い

【7】合格するかどうかもわからないうちに住む家を決めた

【8】ビザも下りないうちに5人分の片道チケットを買った

【9】アメリカの母子留学生活はすぐに軌道に乗った

【10】超スピードの英語に怖気付いた

【11】4人も育てながら大学院はやっぱり無謀だったのかも…

【12】論文は全部読まなくていい

【13】皆んなよくしゃべるなあー大学院の授業、恐怖のディスカッション

 【14】アメリカの幼稚園初日に40分泣き続けた5歳の次女

【15】7歳の長女は絵の才能に助けられアメリカの学校生活を乗り切った

【16】持つべきは苦楽を共にする留学生の友!

【17】図書館の社会的価値をお金に換算するレポート。さっぱり書き方がわからなかった

【18】次男は年齢的に一番可哀相だったかも

【19】週20時間の図書館の仕事、悔やむことも多い

【20】留学中、長男には殆ど手をかける余裕がなかった

【21】デジタルアーカイブ授業のプレゼン①

【22】デジタルアーカイブ授業のプレゼン②

【23】幼稚園児にもプレゼンの宿題が出た

【24】授業でよく喋るアメリカ人、必ずしも大したこと言ってないと教えてくれたハンガリーの留学生

【25】日本語補習校の宿題はハンパなかった

【26】10年以上経って実感した留学の意義。香港のクラスメイトと企画したセミナーが日本で実現。

【27】バスがらみのエピソード、黄色いヒモだけではない。ドライバーに「降りろ」と言われてびびる私

【28】日本語補習校に行く途中、あわや玉突き事故になりかけた 

【29】ライブラリー・スクールでの履修科目。脈絡なく色んな授業を取ったことが、自分のキャリアにとっては良かったと思える

【30】使えるものは子供でも使う。レファレンス資料とサービスという授業のレポートでは次男と長女を動員した

【31】日本人コミュニティのお付き合い。”ママ友”のダンナ様を私は「先生」と呼ぶべきなのか問題

【32】あれはどう考えてもセクハラだった。Noと言えない日本人の私。相手を説得できない日本人の私。

【33】相手に「Yes」と言わせる訓練は小学校からやっている。娘の宿題に驚く一方で私のコミュニケーションスキルは、、、。 

【34】MLIS(図書館情報学修士)で飯は食えるのか、司書資格で生活は成り立つのか問題

 【35】職員も全員英語を話し、一般書も英語、児童書も英語、電子書籍も英語、アメリカの普通の町にある図書館みたいな公共図書館が日本にある・・・そうだったらいいのにな

【36】2019年現在、当時のやり方でアメリカに子連れ留学をすると費用はいくらかかるのかを試算してみたらとんでもない金額になった

【37】子供の誕生会、アメリカは日本よりも派手にやっていた①

【38】子供の誕生会、アメリカは日本よりも派手にやっていた②

【39】「平均的」とは一体何なのかを考えさせられたアメリカの誕生会
【40】アメリカ滞在中反抗期のプチ引きこもりだった長男、今や成人して一児の父となった

【41】そもそもどうして図書館情報学なんていうマイナーな分野でアメリカに留学したのか、その背景は子供時代にさかのぼる

【42】一番熱心に取り組んだ授業はストーリーテリングだったと思う①

【43】一番熱心に取り組んだ授業はストーリーテリングだったと思う②

【44】ストーリーテラーのフラン・ストーリングスさんからのアドバイス

【45】アメリカのオープンなシニア恋愛に学んだこと
【46】本物の楽器を使うアメリカの小学校の音楽教育、全体発表会はひたすら忍耐の時間だったが・・・

【47】アメリカの小学校でファッションショーをした時の話。浴衣も着物もいい加減な知識しかなかった
【48】退路を断った留学の場合、不安にならない方がおかしい。でも、なるようになるのだ

【49】アメリカの駐車場で警察に通報されネグレクトの嫌疑をかけられた
【50】つづき。アメリカの駐車場で警察に通報されネグレクトの嫌疑をかけられた
【51】次男は算数のカードゲームで学校代表に選ばれた。そのゲームとは4つの数字を加減乗除し24の答えを出す24 math game

【52】架空の町の架空の大学に架空の図書館を計画するというグループワークから物事を俯瞰してみることの重要性を学んだ
【53】子連れの留学で一番ありがたかったことは誰もケガや病気をしなかったこと
【54】日本語補習校とアメリカ現地校のお弁当、手間暇が全くちがった
【55】アメリカ滞在中、半年に1回はニューヨークに行った
【56】アメリカのハロウィーン、もっとちゃんと楽しめばよかったと思う
【57】子連れ留学の決意を報告した時の母と義両親の対応に学んだこと

【58】留学中の旅行先で買ったマグカップは今も健在。世の中には洋書の本棚柄にそそられる人種が一定数存在する
【59】日本についての誤った知識を教えたアメリカの小学校の先生

【60】アメリカの家の近所で運転免許証を落としたら、翌日誰かが家に届けてくれた
【61】この先アメリカに残るとしたら、私は何になったらいいのか。考えても選択肢はひとつしかなかった
【62】留学で一番重要なのは健康、特にメンタル面での健康。退く時は腹を決めて退く。
【63】現役のライブラリアンによるライブラリー・インストラクションの授業、一体何の意味があるのか当時はわからなかった
【64】留学生を招待したThanksgivingのパーティー、奉仕ってなんだろうと考えた
【65】卒業後の進路に"迷想"する日々が続いた
【66】カタロガーには絶対に向いてないと改めて認識

【67】① 思いがけない日本からの一本の電話で、アメリカでの就職活動は予想外の展開に

【68】② 思いがけない日本からの一本の電話で、アメリカでの就職活動は予想外の展開に(その2)
【69】③ 思いがけない日本からの一本の電話で、アメリカでの就職活動は予想外の展開に(その3)
【70】再就職までの道のり。自宅の2階の部屋でスーツを着ながら直立して電話面接を受ける自分

【71】再就職までの道のり。自宅の部屋での電話面接で「質問は?」と聞かれ、ろくでもないことを答えた私

【72】東京での就職が無事に決まった