【5】留学先はピッツバーグに決めた

大学図書館で週20時間働きながら大学院で学位を取る

その頃、手当たり次第に色々な人に相談メールを出していましたが、Nさんからのメールは数あるお返事のうちのひとつでした。そこにはこんな内容が書いてありました。

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この大学図書館で働いてこちらで学位をとってはどうですか

ピッツバーグ大学に東アジア研究の図書館があり、ヒルマンライブラリー内に日本情報センターという小さな図書室がある。今は学生を使いながら運営しているが、Japan Foundationからのファンドがあるので、ここのレファレンスのポジションをあなたにどうかと思う。ついては、ここで週ハーフタイムの勤務をしながら、大学院で学位をとってはどうですか・・・・

 本当に願ってもないお話でした。ビブリオグラファーのNさんは私の夫が亡くなってら、子供たちにアメリカの絵本を贈ってくださったり、何かと私たち家族を気にかけてくださっていました。もちろん速攻でピッツバーグに行くことを決めました。

ESLへの語学留学は取りやめ

英語に自信のない私は当初、大学附属のESLに語学留学するつもりでした。ところがNさんに反対されました。ESLに行ってもなんの役にも立たない、できるだけ早くマスターのプログラムに入って英語はやりながら覚えればよい。一刻も早くTOEFLを受けなさい。

翌年2003年の夏に渡米するには、年明けぐらいにはすべての書類を整える必要があり、時間はあまりありませんでした。

10月ぐらいからTOEFLの勉強がはじまりました。

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洗濯物も散らかる汚部屋。。。。

TOEFLはボーダーの215点をクリア

普段も散らかり放題の家は、あっという間に汚部屋と化し、子供たちは奇声をあげながら騒いだり、お兄ちゃんが妹をからかって泣かせたり、阿鼻叫喚の我が家で、黙々と試験勉強をしました。NOVAで多少趣味の英会話をやっていたとはいえ、アカデミックな単語が頻出するTOEFLは全く歯が立ちません。中でも作文は自分自身の英語のアウトプット力のなさがもろに露呈し、支離滅裂の文章しかかけませんでした。

当時のNOVAは再生前。急成長を遂げる中で契約者とのトラブルやレッスンチケットの押し売りなど、社会的には色々問題があったものの、私自身は講師の先生にも恵まれて、最大限活用させてもらいました。先生の指導のもと過去問を解いていくうちに、6割が7割に、7割が8割にと正答率があがっていき、なんとか合格ラインを超えるめども立って来ました。

その年の暮れに最初で最後の試験を受け、CBTで217点(PBT550、iBT80相当)と、まあ決して高くはないですが、なんとかぎりぎり合格ラインのスコアを取ることができました。

ところでアメリカ大学院留学には通常GREのスコア提出も求められます。GREはGraduate Record Examinationsの略で、こちらの英語はネイティブスピーカーにも難度の高い問題が出るので有名です。ピッツバーグは幸いなことにGREが不要でした(今は必須のようです)。TOEFLだけに集中できたのはほんとにほんとに大きかったです。

(つづく)

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